とりあえず作ってみた(仮)

ユカの冒険というフリゲRPGを製作中です。RPGなのにキーアイテムを集めて扉を開くという、マリオの3Dゲームみたいなシステムです。あと敵が逐一変な挙動をする。@matsmomushiで表現規制関係のツイッターもやってます。変な音楽集も。

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性的指好と現実のジェンダー観は一致しないということ その2

前回 のつづきです

自分はメディア規制について興味を持ったのもこのころだったと思います。ニンテンドードリームというゲーム雑誌のゲームの暴力表現などに関するレイティング(年齢区分)に関する記事を読んで、学校の作文にそれに関することを書いたりもしていました。
小学校6年になると学校で性的な言葉が流行りだしました。私がオナニーという言葉を知ったのは、そのとき性的な言葉に詳しいクラスメイトから聞いたのが最初です。最初は「一人でセックスのごっこすること」だと聞いたので、自分のそれがそれと同じものであるとは思っていませんでした。

小林薫の奈良市小1女児殺害事件があったのも、私が小学校6年のときです。私はこのブログに小児性愛のことについて度々書いていましたが、私はこの時から小児性愛自体を犯罪の原因であるかのように扱う報道に疑問を感じていました。とはいっても、自分の妄想が性的なものだと気づく前のことなので、それとは関係ありません。単に「確かに子どもと性行為をすると犯罪だけど、モテない人が犯罪をするわけではない」と思ったのが始まりです。児童ポルノという言葉も報道で聞き、その時から絵は犯罪にすべきでないとも思っていました。ただ、当時は児童ポルノに絵が含まれるのかどうかは知らなかったので、含まれるとしたら間違いだと思っていたにすぎません。なお、自分の性対象はあくまで大人の女性なので、自分が小児性愛者というわけではありません。

中学に入ってからは、友達と性的なことについて話す機会も多くなり、自分のしていたことが自慰であるということも知りました。一方で、自分は性について語ることに積極的だったかと言えば、そうではありません。性的な冗談を言うことには積極的だったのですが、友達がみんなで性的な本やビデオていると、自分は意地でも見ないという感じでした。自分は今とは対照的に、性的なことについて真面目に語ることはおろか、性的なメディアに感心を寄せることにも周囲の人々より消極的でした。しかし、私が性的なメディアを全く見なかったかと言うとそうではなく、ゲームや映画で女性のキャラクターが攻撃を受けるシーンなど、本来性的なものではないメディアで、性的な欲求を発散させていました。自分に、自分はそれ目的で映画を観たり、ゲームをしているのではないと言い聞かせながら。それぐらい当時の自分には性というものに抵抗があったのです。ただ、途中からはそういう指好の人々の為に作られた、やや過激なゲームもやるようになりました。とはいっても、女性側が主人公のアクションゲームで、敵が残酷な攻撃をしてくるというものです。世間一般でいう性的な攻撃はありません。しかし、それでも成人向け雑誌やアダルトビデオのような純粋に性的なメディアを見ることには抵抗がありました。

高校に入ってからは、クラスの友達は冗談でも性的な話をしないような子ばかりでした。一方、部活の友達は現実の恋愛やセックス、アダルトメディアの話をおおっぴらにする子が大半でした。ただ、自分そういった話には真面目に加わることはありませんでした。

しかし、高校2年の時に、児童ポルノに絵や漫画を含めるか否かを検討するというニュースがあり、そのことには多いに感心がありました。小学校のときから、年少者を性の対象とする指好それ自体を悪く言うのは誤りだと考えていたからです。そのときだけは、ネットで性に関する色々真面目な話をしたりすることはありました。

ちなみに、自分か初めて普通のアダルトメディアに触れたのは、高校三年生の時です。部活の合宿の時に、友達にサイトを教えてもらったのが最初でした。それ以来性的なものとされるメディア(アダルトビデオや漫画、個人制作のゲーム)も見るようになりました。一方で、過度に猟奇的なものへの興味は薄くなりました。ただ、自分はいわゆる和姦のものについては全く感心がないみたいです。レイプ物ばかり入れてるのを友達に見られたら変に思われるのではないかと思い、いくつか和姦ものを携帯に保存したこともあるのですが、結局は関心が沸かず、殆ど見ることはありませんでした。

現実のジェンダーについて、中学時代のことで覚えているのは、女性の記者が宮崎県の東国原知事の宿舎に泊まって取材をしたときに、知事が女性を宿舎に泊めることが問題であるかのように報じられたことがあります。単に取材をしただけなのに、女性というだけで問題にするのはおかしいと思ったのです。自分は、男女が一緒に何かをすることを、なんでもセックスに結びつけるのが嫌いでした。

私の現実のジェンダー観は、高校の時に少し変わりました。というのも、男性に対する差別があると感じたからです。当時父子家庭には手当てがなかったことや、アファーマティブアクションの話を聞いて、それはおかしんじゃないかと不満に思ったのです。自分は男女の平等こそ大切だと考えていたので。当時、自分はいわゆる男性差別反対派でした。なお、今はジェンダーに関しては俯瞰的に考えていて、女性専用車にも賛成ですし、アファーマティブアクションも主夫の援助もしっかり行うなら賛成という立場です。男性が不利なケースに男性も可能な限り救われる仕組みであれば、女性に向けた保護政策も仕方ないかと。ただ、自分がフェミニズムに好意的な印象を持っているかといえば、そうではありません。理由は、自分の性的指好が一部のフェミニズムから批判されていたということもなくはないのですが、それ以上に近年のフェミニズムは男性と女性はこうあるべきということを主張していたり、男性と女性をそれぞれのチームであるかのように捉えていたりするように感じるからです。

私の性を「性的指好」「異性の好み」「現実のジェンダーに対する考え」と分けると、次のようになります。

まず「性的指好」は異性、とりわけ凛とした強い女性が意に反した性行為を強制されたり、サディスティックな行為を受けたりするフィクションに向いています。イメージの視点は比較的フレキシブルですが、圧倒的に女性(陵辱される側)が多いです。最後は女性が勝つ方がどちらかというと好きです。また、女性が快楽を味わって堕落するような非現実的な内容より、苦痛として描かれている方が良いです。

一方「異性の好み」は女性に対する脅威に負けないような、強い女の人に向いています。昔は凛々しい感じの女性が好きだったのですが、当時は強い女性は男性受けが悪いと思っていて、そういう部分も自分が惹かれる点でした。ただ、凛とした強い女性像がメディアなどで割と求められる存在であると知ってからは、優しくて、親しみやすい強い女性の方が好みです。正確には、異性として好みというだけでなく、自分がもし女性に生まれるなら、そういう人になりたいという理想だったりもします。また、世間一般で言う恋人になるよりは、強い友情を築きたいという欲求が強いです。

最後に「現実のジェンダー観」ですが、男女とも性別に囚われずに自由に生きれるのが良いと思っています。平等政策については、女性が不利な点も男性が不利な点も両方改善すべきという立場です。ただ、場合によっては女性を弱者として保護するのも仕方ないかなと。最近女性の権利を主張する人は、むしろ女性が弱者であることを主張する人が増えているように思いますし。ただ、元々は女性の保護を想定して作られた制度であっても、可能な限り男女両方の保護を可能にすべきだと考えています。たとえば、DVならば男性もDVを気軽に相談できるように、男性に対する暴力もDVだということを啓発するなど。

もちろん、私と同じ性的指好を持つ人々には、私の同じように強い女性が最後は勝つパターンが好きな人もいれば、負けるパターンが好きな人もいますし、弱い女性のそれが好きな人もいます。また男性がやられるのが好きな女性、女性がやられるのが好きな女性、男性がやられるのが好きな男性など、本人や性の対象も多種多様です。そして私も、強い女性が負けるものや、弱い女性がやられるのも好きな方です。

だから、私の性的指好が強い女性に対する憧れであるなどと主張することはしません。強い女性に憧れるのも、フェミニズム的には抑圧になるので政治的に正しくないと考える人もいることも承知です。しかし、私の性的指好は一部の人々が主張するような支配欲に基づくものでは決してありません。異性のキャラクターに対する性的な侮辱も、現実の異性に対しそのような意識を持っているのではなく、あくまでその異性のキャラクター個人が侮辱という過酷な状況に置かれることに意味があるのです。表現者の意図に何の意味があるのかと思うかもしれませんが、そういう表現を享受する人々も、同じ受け取り方をするというのは重要だと思います。

自分はツイッターをしているのですが、フェミニストで性表現を好んでおられる方はもちろん、フェミニストで広義の小児性愛者の方や、女性で男性がサディスティックな行為を受けるのが好きな方など多様な方がおられます。あと在日コリアンの方で私と同じ指好の方がおられたのですが、その方は異性の好みは保守的な人が好きだそうですが、日本共産党(左派政党)の支持者で、現実の政治思想は左のようです。

確かに、BL好きの方にフェミニストの方が多いということも感じたので、性的指好と思想が全く関係がないと言えるかは微妙なところです。本人たちは、女性が欲求の客体と見られることなく、一方の男性になりきって男性を欲求の客体とみなせることに惹かれるのだと、自己分析しておられました。

しかし、BL好きの人々に反フェミニズム的な考え方の女性も多数いたことや、さきほど話した男性がサディスティックな行為を受けるのが好きな女性が、フェミニストによる男性批判に反論しているなど、現実のジェンダー観と性的な好みとの関係は、あるとしても単純なものではないと思います。私の趣向は少なくとも幼稚園からあったというのもポイントです。
後、BL好きの女性の多くは、イメージの視点が受け側でも責め側でもなく俯瞰という話はよく聞きます。

最後に、もちろん自分は異性の好みについても、性的な好みと同様、政治的に正しいものに変えるべきだとは思いません。保守的な異性が好きなことは変えるべきものでもなければ、変えられるものでもないと思います。理想の異性は理想と割りきって、現実の異性については現実の異性を尊重するという風潮を作って行くべきだと考えています。

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※訂正:思い返してみたところ、自分がダメージ描写に性的欲求を感じるようになったのは、ウルトラマンティガの怪獣ビザーモに、脇役の隊員(男性)が侵食されているシーンでした。ただ、脇役の隊員はいわゆる三枚目の役柄だったので、主人公の隊員(男性)に脳内変換していたというのが正確だと思います。ダイナの隊員と間違えたのは、ダイナが始まってからその隊員で空想していたことが多いため、記憶により残っていたのでしょう。ビザーモの回を見なおしてみたところ、女性の隊員がビザーモに侵食されている場面もあるのですが、特に興味があった記憶はないので、当時は特に女性が良いということは無かったのだと思います。

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  1. 2014/06/29(日) 17:56:52|
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性的指好と現実のジェンダー観は一致しないということ その1

今回は、いわゆる「凌辱もの」のポルノや性的サディズムは男尊女卑的な思想に根付いていると主張する方がおられるのですが、これは違うということについてお話ししたいと思います。もちろん、それを踏まえた上で、そういう描写を侮辱と感じる人が一定数いるのを否定するつもりはありません。ただ、こういう表現の是非は「表現の自由」か否かという外形的な側面でしか語られてこなかったので、性的な好みそれ自体について知って欲しいという気持ちが私にはあります。

なお、私が「性的指好」という言葉を使っているのは、「性的指向」と「性的嗜好」という自然科学的な根拠が明白でない区別に反対の立場だからです。

私は、同意に基づかない性行為が描かれている(演じられている)ポルノや、サディスティックな内容のポルノを好む男性で、少なくともポルノに関しては、普通の性行為が描かれているものには全く興味を感じないのです。
しかし、私の現実のジェンダーに関する考え方は、世間一般からみて保守的なものではありません。もちろん私の考え方に関して、フェミニストやジェンダー学関係の人からは、まだまだ常識に囚われていると指摘されるかもしれませんが、現在の一般的な男性に比べると保守的ではないように思います。

まず、私が自分の性的指好(いわゆる性的サディズム)に気づいたのは、幼稚園の頃です。当時の私はウルトラマン(ティガもしくはダイナ)に熱中していたのですが、あるとき「もし生身の隊員が怪獣の攻撃を受けたら」と想像して、何か惹かれるものを感じました。隊員を演じていたのは、20代の「男性」です。実際に生身の隊員が攻撃されるのを見たのか、想像から入ったのかは分かりませんが、それが最初でした。その頃から生身の隊員が怪獣の攻撃を受けるシーンを空想して、自慰もしていました。ボロボロになった隊員がトイレに流されるといったような、ハードな内容の妄想もしていたと記憶しています。ただ、当時は子どもですから、それが性的なものとの意識はありませんでした。

一方、現実のジェンダーに関して、私はその頃から、「男はこう女はこう」みたいなのが嫌いでした。私がミルク飲み人形を欲しがったり、雛人形を親にねだったこともあると母から聞いています。また、見た目が女の子っぽかったので、よく母に私の名前をもじって「こう子ちゃん」と呼ばれたりもしたのですが、それが嬉しかったというのも記憶にあります。

私の性的な空想は、その後オリジナルの人物(同じく男性です)に変わりました。ただ、そのオリジナルの人物は自分をモチーフにしたもので、人物がその人物なりきって敵に散々やられた後、最後は敵に勝つというものが大半でした。自分がやられる形での妄想が中心だったのです。そのオリジナルキャラは、水を操って戦うなど技などの設定までありました。自分の妄想は基本寝る前に布団に入ったときにしていたのですが、ストーリーをきちんと組み立た上で、そのキャラがやられるシーンで自慰をするという形でした。
また、小学校からは空想だけでなく、ゲームでやれるシーンを見るためにわざと敵キャラの攻撃をうけたりということもし始めました。特に人間型のキャラ(大乱闘スマッシュブラザーズのリンクやロイ。いずれも男性)が酸の海に落ちたり、ポケモンの攻撃を受けたりするのが好きでした。また、単に攻撃を受けるだけでなく、その攻撃を受けても「耐え、生きている」ことを重要視していました。
(念のため書いておきますが、この時点ではレイプというものは知らないので、やられるというのは、あくまで物理的な攻撃を受けることです。)

一方当時の自分には、強い女性に対する憧れがありました。学校で男子に喧嘩で勝った女の子を見たとき、すごく惹かれたというのと、当時テレビ番組のSASUKEを見ていたのですが、女性の挑戦者を楽しみにしていて、女性の挑戦者がでるとクリアして欲しいと強く思っていたのを覚えています。
また、男女で分かれるということに、自分が強い抵抗を感じていたのも覚えています。学校の調べ学習で自分が男子2人、女子4人のグループにいたときに、一人の女子が男女に分かれようと提案したのですが、それが嫌で3人づつのグループに分かれようとした記憶があります。

私の性の対象が女性に変わったのは、小学校3年生の頃でした。弱いとされる女性が攻撃を受ける方がより過酷だと思ったのが始まりでした。それ以来、私の空想は水を操る男性のオリジナルキャラと新しい女性キャラの二人が並存する形になったのですが、途中から空想の主人公は完全に女性のキャラクターに変わりました。その後私がはしかで入院したときには、一度男性(以前とは全く別のオリジナルキャラ)に戻ったのですが、退院した後はずっと女性だったと記憶しています。
確かに、私が生身の人間や女性のキャラクターのような「脆い」存在が過酷な状況に置かれることに、何かを感じていたのは事実です。しかし、それは、よく言われるような自分より弱い者に対する支配欲とは違うと思います。
まず、その女性キャラは世界で一番強いという設定がありました。自分をモチーフにした水を操るキャラよりも強いです(その二人は仲間なのであまり戦わせることはありませんでした)。矛盾しているように思われるかもしれませんが、女性という「脆い」属性を持ちながらも、個人としては「強い」方が良かったのです。
次に、主人公が女性になってからも、自分の空想は、自分がその女性になりきって敵にやられるという形でした。しかも、最後は女性が勝つことが大半でした。

その頃はまだレイプというものを知らなかったので、物理的な攻撃を受けるばかりでしたが、知ってからは物理的な攻撃とレイプの両方を空想するようになりました。その女性のキャラクターは、性的な暴力を受けても平気という設定だったのですが、当時の私が性的な暴力を軽んじていたかというとそうではありません。むしろ、テレビ番組で女性が被害にあった体験談を聞いて、レイプ女性にとっての何よりの脅威というイメージがあったのです。だから、そのキャラクターには、女性にとっての絶対的な脅威を受けても、屈しないような強い女性になって欲しいと思い、そういう設定を付けたのです。他にも、テレビでDVのニュースを見て、そのキャラクターが夫から暴力を振るわれたが自分の力で対抗したというような設定など、女性が女性であるがゆえに弱い立場に置かれる話を聞くと、そのキャラにアンチテーゼ的な設定を付けていたのを覚えています。自分は男性でありながらそういう話を聞くともどかしさを感じていたのです。なぜかは良く分かりません。

次回  へ続きます


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  1. 2014/06/26(木) 01:52:48|
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アファーマティブ・アクションに関する自分の考え

知らない間にフォロー/フォロワーにジェンダー関係(立場はフェミニズムからメンズリブまで色々ですが、アカウントの性質上性表現規制には反対の人が大半です)が増えてきたので、アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)と平等権に関する個人的考察を述べてみたいと思います。


まず、前提から。


まず、自分は「結果の平等」というレトリックは使わず、平等とは個人の機会の平等を指すと考え、アファーマティブ・アクションは、それが認められるとしても、公共の福祉に基づく平等権の制限にすぎないという考えで書きたいと思います。理由はその方が、個人主義の考えに適合するからです。
次に、平等権には自由権など他の人権保証するための制度であるという考えと、平等権それ自体が具体的な個人の権利であるという考えがあるのですが、自分は後者の立場で書きたいと思います。

便宜上の女性の優先採用を例にします。

アファーマティブ・アクションを主張する人々は、目的としては次のようなものをあげます。

1.過去において女性が不利に扱われていたので、その償いとして女性を優先採用すべき。

2.社会に女性が増えることで、男性とは異なったものの見方が生まれ、社会が発展する。

3.裁判官などの場合、自己の性別により判断が左右される場合もないとは言えないので、公平性を担保するために女性を増やすべきだ。

4.職場に女性が増えることで女性が働きやすくなる。また、女性も働くべきという風潮が生まれ、親が女の子にも十分な教育を施すようになるなど、実質的な機会の平等が生まれる。


アファーマティブ・アクションが認められるべきかどうかは、まずは目的に平等権を制限できるに足りる正当性があるかを考え、次にその目的を達成する手段としてアファーマティブ・アクションを用いるべきかを考えるという判断方法をとります。この「目的と手段」という考え方は、判例上ある区別が法の下の平等に違反するかをを判断する際にも用いられている手法です。

1.については、目的自体が不当であると考えます。過去にある属性を持つことを理由にAさんの利益が不当に害されていたからといって、全く関係のないBさんが、Aさんと同じ属性を持っているというだけで利益を得るのは、個人主義に反します。その差別により、Aさんの利益が害されたわけではないのですから。(まだ差別が残っているという話はまた別の問題です。)不利益を受ける男性からしてみると、全く関係の無い人の責任を、ただ性別が同じという理由で負わされたことになります。また、集団が集団に対して償うという発想自体、属性アイデンティティを煽るものであり、良いものとは思えません。


2.についても、目的自体が不当であると考えます。分野にもよりますが、よく言われる理系研究者のような分野では「女性ならでは」の発想というものが存在するという客観的な証拠が不十分だからです。アファーマティブ・アクションのせいで不採用になる男性個人は、男性であるというだけで、根拠もなく斬新な発想ができないと判断されるわけですから、これは根拠の無い差別にあたります。
そもそも男女共同参画自体が、個人差は性差に勝るという考えのもとで行われており、2の考えはその大前提を否定するものだと言わざるを得ません。差別を解消するどころか、助長するおそれさえ有ります。


3.については、平等権の司法審査や、性犯罪などのケースを想定しています。本来自己の属性にあわせて裁判官が判断を変えるというのはあってはならないことなのですが、裁判官とはいえ人間なので、こういうことは十分ありうると考えられます。したがって、目的は合理性があるといえます。

4.については、男性も女性ばかりの中に入って行きにくいと思うことはあるでしょうし、実質的機会の平等という意味で合理性があるといえます。また、いわゆるハビトゥスというものですが、あまり深く考えずに行動した場合に、女性が自然と女性らしい仕事や役割を選んでしまうということもあるので、その改善という意味でも。

という訳で、アファーマティブ・アクションを行うにあたっては、3.または4.の目的でなされる必要があると考えます。


ただし、議員に関しては、立候補の段階ならともかく、議席においてはアファーマティブ・アクションを行うべきではないと考えます。国会議員の選出は何よりも民意を反映させるべきなので、性別を理由に民意に反する議員を誕生させるのは問題だからです。また、有権者数は男女ほぼ同数なので、性別を考慮しての投票も可能です。

次に手段に関してです。
アファーマティブ・アクションにあたっては、次のことが守られるべきだと考えます。

A.アファーマティブ・アクションは結果的にいずれ廃止されなければならない。

女性にハンデを付けて結果的に男女同数にしているのでは、それは「結果の平等」ではなく「見かけの平等」に過ぎません。アファーマティブ・アクションは働きたい/その分野に就きたい女性を増やすことを目的とすべきであって、それが実現されれば廃止すべきです。

B.可能な限り代替手段が講じられ、また両属性がWIN-WINの関係になる手段が優先されなければならない。

アファーマティブ・アクションは個人という観点でみれば、個人がただ男性というだけで不利益を受けるわけですから、望ましいものではありません。よって、他の方法をもってしても改善が見込めない場合に限られるべきです。目的が3.の場合はともかく、4.の場合においては急務とはいえないので(理系に女性が少ないからといって、急迫した問題が生じるわけではない。)ので、代替手段の必要性は大きいと言えます。
WIN-WINの関係になる手段というのは、主夫家庭(になる予定の)女性を優先採用・登用・昇進するといったものが考えられます。


C.対になる属性が不利な(少ない)分野では、必ずその属性を優遇する施策をとること。

性別の場合は、男性が少ない分野で男性を採用したり、主夫家庭に対する支援、主夫のイメージアップCMを放送するなどをしなくてはいけません。
これに関しては、不利益を受ける男性に対する補償制度という役割だけでなく、男性自らの選択によって従来男性の領域とされた分野から男性を減らし、女性が入れる枠増やすという役割もあります。
これがきちんとされていれば、Bの代替手段は必須では無いような気もします。

現在の日本の共同参画政策では、Cが全くなされていません。

よく主夫が認められないのは、女性の就労環境が悪いからと主張する人がいます。しかし、高収入な女性は未婚率が高いというデータから、これは誤りであることが分かります。もちろん、高収入な女性を男性が避けているから、こういう結果になるという主張も可能です。しかし、いずれにせよ、主夫が周りや妻から軽蔑の対象にされるのではないか、万が一離婚になった場合に、就職先が離婚した元主婦と同じように扱ってくれるのかといった不安が、男性にあるのは事実なのです。その不安が本当かはともかく。

国が「主夫は素晴らしいものです」「女性が高収入の場合、夫を主夫にしてみてもいいかもしれません」というCMを打ったからといって、女性の利益が減るわけではありません。主夫家庭の妻である女性の優先昇進・登用はもちろん、主夫家庭の援助は間接的に女性の利益にもなります。

私は、アファーマティブアクション自体は不合理な差別だとは思いません。
しかし、それは「結果の平等」などではなく、公共の福祉に基づく平等権の制限であって、目的と手段は限定されるべきです。


男女論は、「主夫が認められないのは元を辿れば男性の責任」などという風に、鳥が先か卵が先かといった議論に陥りやすい傾向にあると感じます。しかし、仮に男性という集団が先だとしても、現在生きている不利益を受ける男性「個人」にその責任はありませんし、何より、主夫支援政策が働く女性にとって不利益になるわけではない以上、これを行わずにアファーマティブアクションを行うのは、手段の面において不当な差別にあたると考えます。

もちろん、だからやるなと言っているのではなく、ちゃんと男性に対する補償もして欲しいという意味ですよ。

直接の関係はありませんが、女性の進出ということについて最近思うのは、就職・資格系のサイトを見ても、「女性の就職」「女性の資格」という項目やバナーが直ぐに出てきます。こういったものが女性を周辺化し、女性の就くべき仕事や持つべき資格を多かれ少なかれ決めてしまっていると思います。





  1. 2014/02/23(日) 00:49:29|
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BL・女性向け作品の集団投稿の解説

現在、和紙子さんという人が、ピクシブやニコニコ動画などのサイトにBL作品や女性向けとされる作品を、自主規制ルールに従わずに投稿しようと呼びかけていることが話題になっています。
これに関して、その動機が男性に対する嫌悪なのでは無いかという意見があるので、解説をします。

和紙子さんのサイトの「初めに」の部分ですが、一般人が到底知らないようなジェンダー学用語が並んでいて、その解説が無いので、男性の方は抵抗を感じるのも無理は無いかもしれません。

・和紙子さんの主張は何か?
まず一部で「未成年に見せるのか」みたいな意見が上がっていますが、これは的はずれです。和紙子さんはあくまで、性描写がR-18基準になるものはR-18タグ及び区分内で行う方針です。
では、どういった主張なのかというと、BLや女性向けとされる作品には、それらの表現が苦手な人のために「BL」「女性向け」「腐向け」などのタグを付けて検索避けをしなければならないという慣行があるのに対し、異性愛や男性向けとされる作品には、「異性愛」「男性向け」とタグ付けし、それらの表現が苦手な人のために配慮する慣行がありません。これが公平でないと言っているだけなのです。

まぁ、当然でしょう。男性と女性どちらが中心ということはないのですから、男性向け/女性向けと両方タグ付けなどで分けるか、分けないかにしないとフェアじゃありませんね。また、確かに同性愛者は異性愛者に比べ少ないかもしれませんが、それは同性愛表現のみにタグづけする理由にはならないでしょう。同性愛/異性愛に関しても同性愛OKで異性愛が不快という人のために配慮するか、互いに理解するために区分しないかの方が望ましいと思います。また、女性同士の同性愛表現(いわゆる百合)が嫌われていないないことと比較する意見もあります。
二次創作においても、男性向け二次創作に男性向けタグがない以上、これは成り立ちます。キャラクターの改変という点に関しても、あるキャラが「特定の」別のキャラと恋愛や性行為をする関係になる確率は低いわけですから、それだって立派な改変です。

・あの難解な文章は何なのか
これについてはまずは用語の解説をしないことには話しになりません。

・ホモソーシャルって何?
これはジェンダー学で使われる用語です。だれにでも分かるように言うと「男の子同士の友達グループ」です。
ジェンダー学の世界では以下のような思想があります。

1.「男の子同士の友達グループ」と「女の子同士の友達グループ」では、「男の子同士の友達グループ」のルールが一般的なルールになってしまう。
2.「男の子同士の友達グループ」の内部では「男性を普通、女性を異端と考え、女性を見下す。異性愛を正統と考え、同性愛を嫌悪する。」風潮が作られる。
3.したがって、「男の子同士の友達グループ」と「女の子同士の友達グループ」が集まった時、「男性を普通、女性を異端と考え、女性を見下す。異性愛を正統と考え、同性愛を嫌悪する。」男性中心のルールになる。

これが正しいかどうかはわかりません。文系の学問に絶対的正解なんてないですから、皆さん個人の考えに委ねます。

和紙子さんは多種多様な性表現・恋愛表現の中で、BLや女性向けにタグ付けなどの自治ルールがあることが、この「ホモソーシャル」概念に似ていたことを見て、女性蔑視と考えたと私は思います。

・内面化って何?
社会のルールを見て、自分の考えにすることです。今回の例では、「女性向けを区分しなければならないと主張する女性は、自分で考えてそういった考えに至ったのではなく、女性向けを区分しなければならないという男性が考えたルールに皆が従うのを見て、それを正しいと考えたにすぎない。」ということです。

・その他の用語(呼びかけ人のブログに解説があるのを除く)
ヘテロ→異性愛者
スティグマ→レッテル貼り、特殊な属性の付与、烙印付け
ヒエラルキー→上下関係、階層関係

・呼びかけ人の考えは正しいか?
ココからはあくまで私の意見ですが、正しい部分もあれば、間違っている部分もあると思います。
まず、先ほど言った通り、女性向けやBLのみをタグ付けして区分するのはおかしいです。また、この状況がホモソーシャルに類似していることも確かです。

しかし、ホモソーシャルというものが仮に存在したとしても、それは男性が話し合って「女を貶めるためにホモソーシャルをつくろう」と決めたわけではありません。また、ホモソーシャルは現在生存している男性全員が生まれる以前から存在していたわけですから、現在腐女子叩きをしている男性は、先人達の作ったホモソーシャルの価値観を内面化しているにすぎないのです(一部の男性は、過去の男女が無意識的に作り上げた規範に、そういった表現が不快だと感じさせられているのです!!)。女性向けを区分しなければならないと主張する女性同様に。

したがって、女性対男性という構図は正しくありません。出来上がってしまった風潮を、性別関係なく考えようと呼びかける方が、より多くの人が賛成してくれたでしょう。また、このスタンスだと、腐男子と言われるBLを好む男性や、BLや女性向けとされる作品に理解のある男性、中立な男女もいるわけですから、その人達への配慮にもなるでしょう。
自分はBLや女性向けとされる作品の集団投稿自体には賛成します。しかし、この集団対立イデオロギーだけはよくないものだと思っています。

ちなみに自分は男女の集団対立イデオロギーを「性別ナショナリズム」と呼んでいたりします。

こういった人を個人として見ない考えは、ナショナリズムやレイシズム、集団的人権論による表現規制を生み出してきています。集団投稿の件だけでなく、すべての場面でこういうものの見方は無くしていくべきだと自分は考えます。




最後に二つ。


・妨害でグロ画像を投稿した人たちですが、彼らは本当に男性なのでしょうか?
ネットの掲示板じゃ性別はわからないです。


・男性嫌悪主義者の役割を演じさせられないようにしましょう。「役割を演じさせられる」とは次のようなことを言います。
レイシストが日の丸を掲げて人種差別を主張→反対派が日の丸にバツを付ける→一般人には日の丸は日本の象徴でしかないわけですから、傍らから見たらレイシストの言う「反レイシズム=反日」が正しくなってしまう。→レイシストの思うツボ

  1. 2013/12/13(金) 23:06:53|
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個人的な女性専用車両考

なんとなく、TLに流れてきた女性専用車両に関する話題について。

自分は女性専用「車両」については賛成でも反対でもないんですが、賛成論の一部にどうしても納得できない主張があるので、それについて書きます。

まず、自分が女性専用車両を肯定できる理由としては、
1.痴漢被害にあった人の中には、恐怖心で通学・通勤に支障が出る人がいること。
2.痴漢の多くは男性から女性に行われるものであるため、その多くを防止するのに合理的であること。

一方、肯定できない理由として
1.痴漢被害にあう男性や、痴漢冤罪被害が救済されないこと
2.男性に対する差別を正当化する恐れがあること。事実、女性専用が図書館の座席など非合理な他の分野に拡大していること。

など。

1.については男性専用車や監視カメラの設置をすればよいかと。

一方、自分が納得できない主張というのは、以下のようなものです。

「女性がある男性から痴漢被害にあっているのだから、他の男性もその責任を負うべきだ。」

これはありえないでしょう。ある人が痴漢をしたとして、その人にペニスが生えていたから、他のペニスが生えている人が責任を負う。ある人が殺人をしたとして、その人の色が黒かったから、他の色の黒い人も責任を負うべき。こんな馬鹿げた話があるわけがないです。

痴漢が男性に多いというのも、男性全員が話し合って「男性は痴漢が多いという設定にしよう」などと決めたわけではないのだから、他の男性に責任はないはずです。

こういう話をすると、「責任逃れをするのか?」などという人が必ず出てきます。しかし、自分はあくまで男性だけが責任を負うのはおかしいと言っているに過ぎません。もっと言えば、ある人が痴漢をしたことの責任を負うべきなのは、男性も女性も等しくあるべきだということです。

犯罪は社会全体が協力して減少させるべきものという考えに立てば、殺人をした人の色が黒かったから、黒い色の人が責任を負う、という馬鹿な話はおこりません。

だからと言って、合理性がある場合は、負うべき責任のバランスが「度が過ぎない範囲」なら偏ってもかまわないと思います。
だから、自分は女性専用車に反対ではありません。

結局、女性専用車の是非にはなんも影響しないような...

確かに、女性専用車の是非には影響しません。ただ、男性も女性も不利益を受ける痴漢の対策法や、女性が不利益を受ける痴漢の対処法が出てきた場合に変わってきます。

さっきの考え方だと、男性も女性も不利益を受ける痴漢の対処法、女性が不利益を受ける痴漢の対処法の実施を、「痴漢は男性がするから」という理由をつけて、女性が拒むことは許されないのです。


要するに男性も女性も等しく、痴漢被害に遭った女性、痴漢被害に遭うのが怖い女性のために協力すべきだということです。


ただ、女性は痴漢被害に遭う恐れが高いという点で、すでに責任を負っているため、責任が軽減されるという見方もなくはありません。

しかし、痴漢被害という重大性を考えれば、男性も女性も不利益を受ける痴漢の対処法はもちろん、女性のみが不利益を受ける痴漢の対処法であっても、女性専用車より遥かに効果がある場合や、女性専用車と両立できる場合は、それを行うべきでしょう。もし、これを女性差別だというのであれば、女性専用車は男性差別です。逆に、これが女性差別でないのなら、女性専用車は男性差別ではありません。

(ちなみに、女性のみが不利益を受ける痴漢の対処法って何かあるの?と聞かれたら、自分の思いつく範囲ではなないです。あくまで仮定の話。よくある「女が一人夜道を歩くな」みたいな言説はそれとは異なります。あくまで、痴漢に感心のない女性が他の女性が被害に遭わないよう協力できる場合を指し、自己決定権を制限するような対処法は含みません。そもそもそんな対処法はスカートめくりが嫌ならズボンを履けというようなもので、対策になっていないです。)

要するに平等権の制限は、法益権衡(制限される平等権と制限によって守られる利益のどちらが上か)の問題であり、集団Aの一人の責任は集団Aが負うべきで、他の集団の人の責任ではないという考え方は言語道断。これだと性別版ナショナリズムですよ。


ちなみに、最近図書館の女性専用席というのが話題ですが、これには全面的に反対します。
ある図書館で女性専用席が導入された理由が、「男性が席を占領してて座れない」というとんでもないものでした。
まさかと思ってしらべてみると、マナーの悪いホームレスが責任を占領して迷惑行為をすることが度々あった、というのが真相のようです。

ただ、マナー違反が迷惑なのは男性も同じでしょう。女性誌を読んでいると男性の目が気になるという意見もあったそうですが、公の施設で平等権を制限するに足りる理由には思えませんし(公共の施設での平等権の制限は、必要止むを得ない場合に限られるべきです)、この理由だと女性の目が気になる男性のために男性専用席もつくらないとフェアじゃありません。これは非合理的です。少なくとも、公共の施設がするべきことではありません。

ホームレスという属性を差別すると批判がきそうなので、男性という差別しやすい属性を差別したようにしか思えません。(もちろん、ホームレス排除が合理的かは別として)

こういう非合理な差別が増えると、女性専用車もうーんと思ってしまいます。

女性専用席 図書館 などで検索すると、専用席のある図書館が出てくるので、反対の人は意見してみるといいかもしれません。


  1. 2013/08/14(水) 20:50:47|
  2. いわゆる男女論とか
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