とりあえず作ってみた(仮)

ユカの冒険というフリゲRPGを製作中です。RPGなのにキーアイテムを集めて扉を開くという、マリオの3Dゲームみたいなシステムです。あと敵が逐一変な挙動をする。@matsmomushiで表現規制関係のツイッターもやってます。変な音楽集も。

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あらゆるセクシュアリティの政治的に正しい部分を挙げる

あらゆるセクシュアリティの政治的に正しい部分を挙げる。

ポリティカル・コレクトネスを根拠に自分達のセクシュアリティの優位を主張する人にうんざりしているので、みんなの良いとこを挙げてみます。当事者の方でこれは違うというのがあれば、教えて下さい。今回は恋愛感情や性的欲求が向かう対象という意味でのセクシュアリティのみを扱います。

ここでいう政治的正しさとは、ポリティカル・コレクトネスという用語で表される価値観に基づく正しさ、フェミニズム的な価値観であったり、ジェンダー規範や性暴力との親和性の低さという意味であって、万人にとっての正しさではありません。

《異性愛》
違う性別同士の架け橋になることができる。もしこの世界が同性愛者ばかりなら、男女対立や男女の分離は今以上に酷かったかもしれない。人種や民族のように。性感染症のリスクは同性愛よりは低い。子孫を残すことができる。

《同性愛》
体力や社会的立場が対等なので、異性愛に比べると、性的搾取や性暴力の危険が少ない。性暴力に甘過ぎたり、対策が過剰過ぎたりすれば、自分にも危険が及ぶ為、公平な議論ができる。恋愛における役割分担も生じにくく、ジェンダー平等に則している。望まない妊娠の危険が無い。

《両性愛、全性愛》
ジェンダー平等に則している。仮にこの世界が両性愛者や全性愛者ばかりでも、性別がくっきり別れてしまうことはないし、女性が性の対象と見られやすい問題や、男性があまり積極的にアプローチしてもらえないという問題も解消できたでしょう。

《アセクシュアル》
性的欲求も恋愛感情も持たない人のこと。性欲目的の性暴力のリスクや性行為自体に伴うリスク無い。恋愛によって人生を縛ることも無い。性差のない純粋な友情関係なので、ジェンダー平等に則している。

《ノンセクシュアル》
性的欲求を持たない人のこと。身体目当ての恋愛が生じない。性欲目的の性暴力のリスクが無い。性行為に伴う様々な危険もない。

《アロマンティック》
恋愛感情を持たない人や、好意を持っても恋愛という関係を望まない人のこと。恋愛によって他人の人生を拘束することがない。恋愛は自己のみに対する愛情を一生を通じて要求する点においては、性的欲求以上のリスクがあると考えることもできるでしょう。家制度との親和性が低い。人生の自由に則している。DVやアンペイドワーク、ストーカー、怨恨による殺人などのリスクが少ない。

《ポリアモリー》
同時に二人以上に恋愛感情を抱く人のこと。多様な人間関係を築くことができる。三角関係になっても、トラブルになりづらい。不貞行為による離婚や、その他様々な問題が生じない。

《二次元純愛(現実で当事者であるセクシュアリティ)》
現実の人間を性の対象とすることに主眼を置かない。そもそも現実の人間を性の対象としなければ、性差別も性暴力も生じないはず。現実との差異はあるものの、純愛に基づく性行為自体は現実に反映させても他者の権利を侵害しない。

《二次元BL、百合(現実では当事者でないセクシュアリティ)》
現実の人間を性の対象とすることに主眼を置かない。当事者になることは無いため、現実の恋愛や性行為への関心はより希薄と考えられる。性的マイノリティを性の対象としていることを批判する人がいますが、現実の恋愛や性行為に重きを置く人や、生まれたままの性別で性行為を行う人が、正しいわけではないはずです。

《二次元ロリ・ショタ》
現実の人間を性の対象とすることに主眼を置かない。現実の成人のパートナーとの人間関係と、フィクションに対する性欲とを分離できる(※1)。現実の性行為に未練のある人がいるのなら、現実の人間との性行為を重視する風潮を変えていくべきでしょう。

《二次元凌辱》
現実の人間関係と性欲を分離しやすい(※1)。性行為を暴力として捉えており、良いこととして扱わない(※2)。戦うヒロインが怪物や怪人に陵辱されるなど、非現実的な内容であることも多い。

《二次元リョナ》
現実の人間関係と性欲を分離しやすい(※1)。性欲は暴力であると捉えていてる。戦うヒロインが怪物や怪人から攻撃を受けるなど、非現実的な内容であることも多い。

※1 これらの人々の多くは現実の成人のパートナーと合意のある性行為をしないわけではありませんが、欲求が狭義の異性愛や同性愛の人達より希薄な可能性はありうると思います。リョナに関してはアセク、ノンセクが比較的多いとの情報もあります。

※2 よくある批判として、レイプされたキャラクターが喜んでいるというのがあります。確かに、凌辱ものの多くはキャラクターの反応を快楽として描写していて、現実の性被害と異なるかもしれませんが、その大半はあくまで暴力により強制的に堕落させられたという認識であって、レイプを本当に相手の利益になるものとして美化したものは見たことがありません。

《動物性愛》
現実に行為を行えば虐待であるが、人間に対する欲求が希薄であるのがメリット。性欲に関してはジェンダー規範とも無縁。

《対物性愛》
無性愛に同じ。

《BDSM》
望まない妊娠の危険がない。性器を使わないため、男女の対称性が高い。合意がなければ暴力であることや、度が過ぎると危険であることは、性行為も同じでしょう。

《本来的意味でのフェティシズム》
他人のものを盗まなければ良い。仮に盗んだとしても、人間への欲望である異性愛や同性愛が暴走した場合よりリスクは低い。

《窃視》
合意の上で覗きのロールプレイをしたり、アダルトビデオを見るなどで代用できる。アダルトビデオ撮影時のリスクや、仮に犯罪となる行為をした場合のリスクも、異性愛や同性愛より低い。

比較的アイデンティティとしている人が多いものを選んで、挙げてみました。ジェンダー平等ということであれば、アセクシャルなどの無性愛系統が一番優れているかもしれませんが、個人としての資質に比べれば、セクシュアリティの差異なんて微々たるものだと思います。現実の性行為が二次元より優れている点は、相手と実際に関わるので、相手に配慮して抑制することができる点だと思います。しかし、現実の人間を性の対象とすることに主眼を置いている時点で、フィクションを性の対象とする人を一方的に批判する権利は無いのではないでしょうか。また、二次的好きな人の中には、現実の性別とは逆の性に感情移入している人もいます。性別が違う=他者ではないのです。現実のフェティシズムは犯罪報道で目にするものも多いためにネガティブな印象を持つ人も多いでしょうが、冷静に考えれば、世間で普通とされる性行為の方が危険な場合も多いのです。

でわでわ。

テーマ:フェミニズム - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/08/22(土) 06:14:37|
  2. いわゆる男女論とか
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ネットの「女叩き」発生のメカニズムに関する個人的考察


フェミニストでツイッターをされている方で、ネットでは女性嫌悪(ミソジニー)書き込みが多いという人が結構います。自分自身、その通りだと思います。しかし、それを女性蔑視が原因だとしてしまうのは間違いだと考えています。ジェンダー界隈では、「蔑視」「嫌悪」さらには「性的欲求」までを一くくりにしてしまう人が多いように感じるのですが、これらは全然別々の感情ですよ。

これは女性批判の書き込みをしている人々と、それを批判するフェミニスト等の人々双方を対象にして書きました。したがって、どちらかに一方に都合の良いことは書いていないと思って下さい。また、あくまで自分の考え方に過ぎないと銘打った上でお話ししたいと思います。

1.ミソジニー書き込みをする男性には女性は得をしているという考えがある

まず、女性叩きをする男性は、女性が社会において得をしていると考えていることが多いです。具体的には女性専用車両や女性割引、アファーマティブアクション、割り勘問題などです。フェミニストの方には、これら(割引や割り勘はともかく)は差別ではなく女性が不利益を被っていることの是正とみる人が多いと思いますが、それはあくまで一つの考え方です。客観的には性別で差を設けている以上は、不当な差別と考える人がいてもおかしくないのです。もちろん、これらの制度が不当であるとしても、それは制度の是非であって女性を憎悪するのは誤りですが、ネットのミソジニーは、家父長主義的な女性蔑視ではなく、平等に対する考え方の違いから生まれる対立と言うべきではないでしょうか。

この対立の背景には、男性には男性が得をしている部分は見えづらく、男性のみが一方的に損をしていると思い込むことがあると思います。(逆に女性には女性が得をしている部分は見えづらいと思います。)

実を言うと、昔は自分も「地上派メディアでは男性が悪く言われ女性が持ち上げられてるんだから、ネットでは女性を叩いても良いんじゃないか。」と考えていたときがありました。そういう埋め合わせ的な感覚でミソジニー書き込みをしている人は割と多いと思います。もちろん、地上派メディアで男性の方が良く扱われていると考える人もいるのと、そこから「ネットでは女性が悪く言われているから今度は男性を……」と憎悪の連鎖が続くので、ミソジニー書き込みはすべきではありませんが。

2.男性が男性の女性不信を高揚させている

ある男性が勝手に女性は男性を差別しているという書き込みをし、それを見た別の男性がミソジニーを高揚させるというケースがよくあると感じます。たとえば

イケメンが女性に声をかける→結婚生活
おまいらが女性に声をかける→刑務所生活

など、具体的にその例を見た訳でもないのに、面白半分や自嘲ネタのつもりであたかもそういう例があるように書き込み、別の男性がそれを真実だと捉えてしまうのです。もちろん、性犯罪に関する司法判断などについては杜撰な部分もあると思いますが、私としては女性が容姿で人を犯罪者にした例は聞いたことがないですし、少なくともフェミニストの人はイケメンでも現実でセクハラはされたくないと言っている人が多いです。

最近ではまとめサイトが男性差別や容姿の劣った男性の不利に対する記事を載せていますが、これらの中には真摯に男性の人権を考えたものばかりではなく、内容を誇張し、男性の怒りを煽ることでPVを稼ごうとしているものがかなり含まれていると感じます。

また、男性が別の男性に対し、「お前みたいなのは女性に気持ち悪がられる。」「俺達みたいなのは女性に気持ち悪がられる。」と、マウンティングや道連れの形で女性不信を煽るケースもあります。その仕返しとして、女性の画像に「ブス」などの書き込みをする人がいるのではないかと考えています。リアルはともかくネットで男性の画像に容姿を貶す書き込みをしている女性はあまりいないと感じます。

ただし経験則として、小学校や中学校、高校などでは、女子生徒が容姿の劣った男子生徒を避けたり、身体の接触を過剰に嫌ったりするといういじめがあるので、それが男性が容姿により性犯罪者にされるのではないかという不安を抱える原因になっていると考えます。(当然ながら男子生徒から女子生徒への同様のいじめも同じ位あります。)

3.ロマンティック・ラブ・イデオロギーの圧力

女性が自分を恋愛や性の対象とみないことについて、女性を恨んでいるケースです。当然ながら、男性にも女性の好き嫌いはありますし、女性がどの男性を好きになろうが自由です。これについては、男性の中で恋愛や性行為を「しなければならないもの」とみなす風潮が根底にあると思います。要はモテない男性に対する偏見や劣等感、何歳までに童貞を捨てないといけない等の圧力です。つまり、現実の恋愛や性行為は必須のものではないという意識を、広めることが重要でしょう。


4.最後に
女性批判をする男性へ:(これは男性批判にも言えることですが)平等に対する考え方は人それぞれです。時には自分の考え方と違う形での平等を受け入れなくてはいけないこともあります。もし今ある状態が平等でないと感じるならば、制度や不平等自体を冷静に批判しましょう。異性自体へのバッシングでそれを埋め合わせるのは誤りです。
また「女性は男性をこう思っている」ということに関して、常に「実際にその実例を見たのか。」「男性が女性に対して同じ扱いをしていないか。」を確かめると良いと思います。

ネットのミソジニー批判をする女性へ:男性は女性を下に見ていると過度に思い込んでいないでしょうか。女性は男性より劣ってるなどと考えている男性はいたとしてもごく少数でしょう。女性全体を恨む男性は、不公平を感じていたり、女性への不信を持っていたりすることが多いです。男性が不利と感じる男性が存在することを受け止めた上で、女性側の不利益や、女性自体を恨むのは違うということを冷静に伝えていく必要があるのではないでしょうか。

テーマ:心と身体 - ジャンル:心と身体

  1. 2015/03/18(水) 05:56:24|
  2. いわゆる男女論とか
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雑多になるので

オリキャラSSは雑多になるのでfc2小説に移転させました。
  1. 2015/03/10(火) 15:50:03|
  2. オリキャラSS(予定)
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性表現批判の問題点をジェンダー的な観点からまとめてみた

自分が漫画などフィクションにおける性表現の規制に反対するようになったのは、自分が小学校6年の時に起こった奈良市小1女児殺害事件の報道を見て、小児性愛それ自体を犯罪の原因であるという風に主張する報道に疑問を感じたのが最初というのは、以前の記事に書きました。

今回は、性表現の規制はジェンダー平等には繋がらないという話をしたいと思います。

確かに、サッカー漫画を読んでサッカー選手に憧れる人がいるように、性表現は人の行動に影響を与えないかといわれると、否定はできないと思います。
しかし一方で、性的な欲求というのは人間には先天的に存在しているものです。したがって、性表現を規制した場合に上記のような問題が緩和されたとしても、別の問題が生じる可能性もあるのです。

フェミニストという言葉がでてきますが、フェミニストの中でも性表現の規制に反対するグループと賛成するグループの双方が存在すること、には留意下さい。また、本記事は性表現をそれがそぐわない場面においてゾーニングすることを否定するものではありません。



1.重要なのは現実の恋愛・セックス至上主義からの解放

2.現実の恋愛や性行為は他者への尊重だという人へ

3.フィクションの内容が問題という人へ

4.最後に



1.重要なのは「現実の恋愛・セックス中心主義」からの解放

まず、性表現の規制の主張(もしくは規制の主張とまではいかなくとも、萌えや性表現に対する批判)がなされる場合には、それらの表現の危険な側面ばかりが主張され、現実の恋愛や性行為の危険性についてはまず語られることはありません。フェミニズムやジェンダー学は日頃から現実の異性愛の危険性について散々指摘しているにも関わらず、フィクションの話になると完全にそれが無視されるのです。

性のあり方を、

1.現実の恋愛や性行為に比重を置くライフスタイル
2.フィクションの萌えや性表現に比重を置くライフスタイル

と分けた場合に、本来であれば、1と2に共通する問題、1に顕著な問題、2に顕著な問題、の3つが語られるべきはずです。しかしフィクションよりも現実の恋愛や性行為に比重を置くことは世間で「当然のこと」とされているため、1に顕著な問題については語られることは少ないのです。また、仮に語られた場合であっても、それは現実の恋愛や性行為を重視する人々全体の問題とはみなされないのです。


では、現実の恋愛や性行為の危険性というのは何でしょうか?
性表現などが存在せず、現実の恋愛でしか性愛を得ることができない世界を考えてみましょう。

まずはロマンティック・ラブ・イデオロギーに基づく過酷な性愛獲得競争です。性的な満足を獲得する手段が現実の恋愛やそれを経た性行為しか無いとすると、恋愛や性行為の相手としての異性を求める動きは今よりも強くなるでしょう。そうなれば、常に異性を意識した行動(異性に好まれるとされる行動)をする人々が多くなると考えられます。その行動の多くは、異性が自分の性に求める行動、つまりは女らしさ、男らしさなのです。
加えて、現実の恋愛や性行為がマストになると、パートナーのいない人々は、現実で関わりのある異性、多くはビジネスの同僚や後輩を、恋愛や性行為の対象と見ることになります。異性を単に職場仲間や友達と見ることが難しくなるのです。そのような状況では、日常生活において強引なアプローチなどを受ける機会も多くなるはずです。
加えて、アンペイド・ワークやDV、デートDV、ストーカーなど現実の恋愛にはフェミニストの人々が指摘していた数多くの問題があります。現実の性行為にも、相手に嫌われたくないが故に性行為をしてしまったり、合意が不十分であったり、避妊の問題など、現実の行為であるが故の危険も沢山存在するのです。

にもかかわらず、現実の恋愛や性行為を本質的に無害なものとした上で、フィクションの害悪ばかりが問題にされるのです。フィクションの影響と主張されることの多くも、全ては現実の恋愛や性行為の中において起こっていることなのに。

では、この背景には何があるかというと「現実の恋愛・セックス中心主義」です。これは現実の異性との恋愛を経た性行為こそが最終目標であり、ポルノだとか自慰だとかはその代替に過ぎないという考えです。本当にこれは正しいのでしょうか?
この世界の大半の人は、性行為の回数よりも自慰の回数の方が多いはずです。
現実の性行為で楽しもうとするからこそ、危険な性行為が行われるのではないでしょうか?
異性をむやみに性の対象として見ないで欲しいと言いつつ、性の対象として見てよい異性が現実の自分に関わりのある実在する人物に限定するのは、本当に正しいのでしょうか?
ホモソーシャルを強化しているのは、むしろ現実の恋愛や性行為に重きを置く人々なのではないでしょうか?

ジェンダーに関心のある人々の「一部」が、殊更オタクの人を責めることがありますが、オタクの人々は(少なくともイメージとしては)現実の異性にあまり積極的でないと言われています。自分の経験としても、高校の修学旅行や合宿の夜に男子だけになった際に、現実の異性を性の対象とするような猥談をしていたのは、オタク的でない生徒の方でした。

もちろん、私はオタクの人々が非オタクの人々よりも優れていると言うつもりはありませんし、フィクションでの恋愛や性の充足が現実の恋愛や性行為より優れていると言うつもりもありません。しかし、私が言いたいのは、現実の恋愛や性行為に比重を置くことは、単に世間で当然とされているだけで、フィクションに比重を置くことよりも安全というわけではないということです。

また、オタク批判としてよく取り上げられるネットのミソジニーに関して、女性に恋愛対象として見られないことを理由にミソジニー発言を頻繁にする男性の中には、現実の恋愛・セックス至上主義を内面化している人々が多いと感じます。そういう人々には、現実の恋愛やセックスが必須でないこと、人間の価値を決めるものではないことを伝えていく必要があると私は考えています。一部の人々の「フィクションの異性像は他者を尊重していない。現実の性行為こそが異性の尊重だ。」「童貞だから異性嫌悪発言を繰り返すんだ。」という姿勢は、それこそホモソーシャルにおける現実の恋愛・セックス至上主義や異性獲得競争への加担に他ならないのではないでしょうか?


2.現実の恋愛や性行為は他者への尊重だという人へ

現実の恋愛やセックスは、フィクションの萌えや性表現とは違い、他者への尊重の証であるという人へ。本当にそうでしょうか? 私は現実の恋愛や性行為も、フィクションも、価値としては同じだと思います。
もし恋愛やセックスが愛や尊重だというのであれば、どうして性別により相手を選別するのでしょうか? あなたは性別により尊重の仕方を分けるのですか?
もし恋愛が愛や尊重だというなら、どうして好きな人に別の好きな人が出来たら怒るのでしょうか? その人が本当に好きな人と結ばれて、幸せになることを望まないのでしょうか?
現実での異性との関わりは、恋愛や性行為だけではありません。同性と可能な限り同じような関係を築くこともできるはずです。それだって立派な尊重です。
それでも敢えてロマンティック・セクシャルな関係を選ぶのは、生理的な欲求があるからでしょう。でも、それを奪われる(恋愛や性に基づく関係を禁止される)のは嫌なはずです。

私は性行為はもちろん、恋愛も、単なるフェティシズムの一種に過ぎず、人間関係や他者の尊重とは全く次元を異にするものだと考えています。それを認めなければ、同性にも異性にも恋愛感情を持たない無性愛の人々は人を愛せない人間ということになります。私はその性行為や恋愛というフェティシズムの部分をフィクションの理想的な異性キャラクターで充足し、現実の人間関係と分離してしまうことは、他者を尊重しないことを意味しないと考えます。

3.フィクションの内容が問題という人へ


次に、フィクションの性表現自体は問題無い、その内容(サディズムや年少者との性行為)が問題なんだという人へ。私はフィクションの内容を矯正することは、原則として無意味だと考えています。

まず、性的な好み自体を変える方法は不明です。性的指向(性の対象が異性であるか同性であるか)と違い、性的嗜好(それ以外の性的な好みの違い)は自己選択だと主張する人々がいますが、これは同性愛の人々が権利獲得の過程で主張した一説に過ぎず、明白な根拠があるわけではありません。最近ではこの区別に対し、同性愛の人々からも批判も上がることも多くなっています。性的嗜好障害(性的嗜好に基づく行為を抑えられず本人がそれを著しく苦痛に感じている場合)の治療とされている方法も、現実には薬物や行動療法で行為に及ぶことを抑えるのみで、性的嗜好自体を変えるわけではないのです。またこれらの性的な好みに気づく原因も、その多くは性表現を見てというものではなく、小児性愛であれば周囲の年下の子どもを好きになった、サディズム(幼少期の場合対象が異性に限定されないことが多い)であれば特撮ヒーローが怪人にやられるのを見たなど、些細なことである場合が多いです。

次に、現実に犯罪を犯すか否かは、理性など他の部分の問題で、性的な好みの問題ではありません。性犯罪の原因が異性愛によるものではないのと同じです。それから性的な好みと現実のジェンダー観は無関係です。サディズムになる原因は異性蔑視や異性嫌悪というわけではないのです。これについては自分の経験を書いた以下の記事をご覧下さい。

http://mtsmush.blog.fc2.com/blog-category-5.html

そして特定の性表現の規制の一番の問題は、特定のセクシュアリティにスティグマを作るということです。性表現の規制が仮に犯罪を増やす可能性としては、よく言われるガス抜きよりもこちらの方がありうると自分は考えています。特定の性表現が規制されると、あたかもその性的な好み自体が問題であるかのような印象が作られます。欧米などでは小児性愛に気づいた青年が、自分がモンスターであると思い悩んだという話がよくあるそうです。こうしたセクシュアリティに対する偏見を内面化することで、「自分は子供と実際に性行為をしたいんだ」と思い込んでしまったり、日々の抑圧によるストレスから何らかの犯罪や自殺に走るということも十分考えられます。

もちろん、小児性愛の場合実写は不可能なのは仕方ありませんが、漫画などのフィクションを規制する場合は、上記のような問題が生ずる可能性も考慮に入れるべきです。

そして最後に、現実では不可能もしくは現実とは乖離した性的な好みは、必ずし世間で「ノーマル」とされる性的な好みより危険とは限らないのです。なぜなら、こうした人々には、現実では比較的恋愛や性に対する欲求に乏しかったり、場合によってはノンセクシャルやアセクシャルを自認している場合もあるからです。以前ゲームや映画などの物理ダメージに興奮する人々は比較的ノンセク傾向が強いという話をしましたが、性的サディズムについて、海外では kinky-asexual やasexual-kink (kinkは性的嗜好扱いのセクシャリティとりわけBDSMを指す)という風に、サドマゾ行為に関心がある代わりに性行為に関心がないという人を表す用語さえあるのです。現実の恋愛や性行為にも数多くの危険や問題があるのは、始めに述べた通りですから、現実と乖離したフィクション好む人々を、現実の恋愛や性行為と親和性の高い性的な好みに変える必要はないのです。

そして何より、現実では不可能な性的な好みを持つ人々が偏見にさらされたり、実際に犯罪に走ってしまうのは、前述の現実の恋愛・セックス至上主義にあるのではないでしょうか。フィクションの性行為を現実に合わせようと主張されるのも、結局は性の充足を現実で行うのが当然という価値観に根ざしたものに他ならないのです。


4.最後に


私は表現の批判自体を悪く言いたいわけではありません。凌辱ものやサディズム、ロリと言った性的な好み単位で悪いものとすることには反対でも、広告の手法、コミュニティの雰囲気などについては、これはどうなんだと思うようなものは、自分にとってもあるからです。加えて、性的なメディアに正しい性知識を伝えるパンフレットを同梱するなどフィクションをよりよくしていく方法もあります。

ただ、私が言いたいのは、性のあり方は人により様々であり、マジョリティであること及び種の存続の必要性故に決して批判されることのない「現実の異性との恋愛を経た性器挿入」は必ずしも他の性のあり方より安全でジェンダー平等に即したものとは限らないということです。

なお私は決してセックスレスを推奨しているわけではありません。あくまで現実の恋愛や性行為を性に関する最終目標と考えることや、他者に対する尊重や人間性と結びつける風潮に疑問を呈しているにとどまります。

テーマ:表現規制問題 - ジャンル:政治・経済

  1. 2015/02/25(水) 23:08:04|
  2. 表現規制問題
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いわゆるリョナ好きな人に関する話

今回は、リョナラー(リョナ好きな人々、つまり漫画などのフィクションにおける物理的なダメージ描写に性的な興味を抱く人々)について、色々と話したいと思います。

これらはゲームで敵の攻撃を受けるというライトなものもあれば、拷問のようなハードなものまであり、この先、時としてよくないものとして非難されることもあると思います。たとえば、危険だとか、女性蔑視だとか、女性差別だとか。もちろん、表現を批判するのは良いのですが、その前に当事者の人について客観的な事実を理解して欲しいと思っています。

まず、リョナ好きな人々は、男性だけではありません。「男リョナ」というのを調べてみると、女性で男性に対する物理ダメージに興味があるという人がかなり居ると分かります。当然かもしれませんが、女性で女性の物理ダメージに関心がある人や、男性で男性の物理ダメージに関心がある人も結構います。

次に、リョナ好きな人は、必ずしも人を痛めつける空想をしている訳ではありません。以前の記事に自分もそうであると書きましたが、リョナ関係のスレを見ていると「やられる側」に感情移入しているという人が結構な割合でいます。これは感情移入リョナやMリョナなどと呼ばれることがあります。つまり、男性だからといって性的なフィクション、空想などにおいて必ずしも男性に感情移入するわけではないのです。それ以前に。そもそもダメージを受ける人物に関心があることに関して、ダメージを与えるのが自分である必要性は無いんですよ。ちなみに以前、女性の方でやられる男性に感情移入しているという人も見たことがあります。

では、リョナ好きな人は恋愛感情を持った人物がそういう目に遭って欲しいと思っているのかというと、そうではありません。中には、好きなキャラクターが酷い目に遭うのが良いという人もいるのですが、私の場合は恋愛と性的な欲求は別物だと考えています。そもそも自分ははっきりとした恋愛感情があるか分からないのですが、なんとなく好きだと思った人がいても、その人を性的な空想に登場させたことは一度もなかったりします。恋愛と性行為が一体不可分というのは自分には当てはまりません。

それから実は、リョナ好きな人々の中には、現実ではノンセクシャルやアセクシャルを自認している、つまり恋愛欲求はあるが性行為への欲求は無い、恋愛欲求も性的な欲求も全く無いという人が「比較的」多いのです。中には、性行為自体が不快で嫌だという人もいます。リョナ関連のスレッドで、恋愛と性行為が不可分であると聞いて彼女と付き合うのが不安になったということを相談していたリョナ好きの男子高校生を見たこともあります。つまり一見危険そうな性的な好みに見えますが、現実に存在する他者をむやみに恋愛や性の対象と見ないという点においては、一般的な有性愛の人が持つ危険性を持っていないのです。
自分の場合は完全なアセクシャルやノンセクシャルではありませんが、恋愛や性行為の欲求は比較的希薄で、異性とも同性と同じような「壁」のない友達になりたいという望みが強いです。フィクションのキャラクターについても、特定のキャラクターを好きになったことは一度もなかったりします。

リョナ好きな人々が物理ダメージに性的な興味があると気付くきっかけは、その多くはポルノのような成人向け作品を見たことによるものではありません。リョナ好きな人々は幼稚園・小学校でそれに気がついていることが大半であり、そのきっかけの多くがウルトラマンが怪獣にやられるのを見ただとか、対戦ゲームのキャラクターがダメージを受けるのを見たなどの、ごくありふれた表現によるものです。

さらに、リョナ好きな人には自分と同じく、幼少期には男でもいけた、男にしか興味がなかったという現在異性愛の男性が結構いるのです。中には変身後のウルトラマンやドラゴンに興奮していた人もいます。実は大人になってからもウルトラマンに興味のある人もいて、性的なロールプレイとしてウルトラマンが怪獣にやられるシーンを真似る「ウルトラマンやられごっこ」なんてのをしている人もいます。

リョナ好きな人に対して、何か嫌なことがあって性癖が歪んだんだろう的なことを言う人がいるのですが、リョナ好きな人は大半が幼少期(自分の場合は幼稚園)からなので、それは無いと言って良いと思います。むしろ、何でヘテロセクシュアルになっちゃったんでしょうね?

以前の自分の経歴に関する記事への追及という感じでしたが、では。

テーマ:心と身体 - ジャンル:心と身体

  1. 2014/12/26(金) 01:56:41|
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